・夏の終わりの吉祥寺
ゲーセンで天使に遭った。


 きちんと最初から書くことにしよう。
 8月28日の午後だった。俺は大学が夏期休暇中で、吉祥寺
のバイト先で働いているところだった。その日はバイト勤めが
連続8日目で、その前の週も6日連続で働いていた。おまけに
その前の週はコミケに連ドラを持っていくという特殊な行動を
おこしていたし、俺は実家からバイト先まで2時間以上かけて
通っているのだ。疲れが溜まっていると言われても、反論など
できはしない。
 だが、あれはもちろん幻覚でも何でもないし、実際に体調は
すこぶる良かった。後で確認したが、財布の中身も計算通りに
減っていたし、なにより、自分の中のもやもやした感情はまだ
しっかりと残っていて、いまだに胸の奥にとどまっている。
 事実なのだ。
 他人には証拠となるものは何一つ示せないが、この場合は自
分に証拠が示せれば問題はないと思う。
 あの日、俺は街へ買い出しに行くことになった。職場のプリ
ンタのインクが切れたのだ。上司に1万円札を渡され、買いに
行く店を指定された。「チェリーナードのセレクトインきむら
や」。買いに行く品物はエプソンのPM−2000対応のカラ
ーインクが4つと、黒が2つ。
 京王井の頭線吉祥寺駅を出てすぐ正面にサンロードがある。
チェリーナードはサンロードに入る手前、左に垂直に曲がった
道だ。実は俺はチェリーナードを歩くのが初めてだったので、
多少きょろきょろしながら目的の店を探した。
 行けばわかると言われたが、実際そのその通りだった。俺は
セレクトインきむらやでインクを6つ買い、会社の名前で領収
書を切って店を出た。

 店の正面に地下式のゲームセンターがあり、安っぽい電飾と
CAPCOMvsSNKのポスターが俺を呼んでいた。

 ここで俺の名誉のために書き記すが、俺はためらわずに足を
その店に踏み入れたわけではない。躊躇したのだ、確かに。
 だが、俺には前にも20分ほど道に迷った実績があった。
 ヌルゲーマーの俺がCPUか乱入相手に惨敗するまで、もの
の5分とかからないだろう。ちょっと長引いても、また迷った
とか言えばいい。いやいや俺のような立派な人格者にはそのよ
うな間の抜けた愛敬のある部分を演出するほうがよいのだ必要
なのだ、必要ならば仕方がない、では入ろう。
 入らざるをえなかった。
 俺は運良く誰も取り付いていないCAPCOMvsSNKの
筐体を発見し、100円を投入した。
 3分後には俺のブランカと山崎竜二は乱入相手の不知火舞に
のされていた。
 床に寝そべってこちらを向いて笑う不知火舞を見ながら、俺
はCanitzのプログラマであるMIKUが「こちらを見て
笑う女の子がなければ受けないはずだ。描くようにせよ」のよ
うな趣旨のことを言っていたな、とぼんやり思っていた。
  敗者は去るのみだ。俺は席を立った。
  後ろに立っていた人影が俺の後に座った。
  人影だが、人ではなかった。

 ゲーセンで天使に遭った。

 背中にはきちんと白い羽が生えていた。
 レバー操作を行う本体にあわせて不規則に揺れていたが、羽
は基本的には呼吸にあわせてゆるやかに開閉していた。
 やや褐色の混じった柔らかそうな金色の髪は、軽く波打ちな
がら、背中の中程まで光っていた。
 その金髪に包まれた顔は磁気のような肌をして、整った眉を
わずかにひそめながら、真摯な面持ちでゲーム画面を見ていた。
 ルネッサンス以降の、リアリズム手法の宗教画に見える天使
のイメージではない。完璧な耳目や感情を感じさせない眼差し
にその特徴はあるが、それよりも、もっと素朴な時代の宗教画
の天使の雰囲気なのだ。
 つまり、美しいのではなく、神々しい。
 男性的な部分と女性的な部分が釣り合っているところがそう
感じさせたのかも知れなかった。ルネッサンス時代は、両性の
肉体の美しさを別々に極めた古典主義を拠り所にしている……。
 この天使は中性なのかな、と俺は天使の顔を正面からぼーっ
と見つめながら思った。
 正面?
 正面だ。
 天使はいつの間にかゲームを終え、俺の前に立って俺と目を
合わせていた。俺はしばらく自分がひどく失礼なことをしてる
と気づかず、そのまま不思議な色合いの瞳を見つめていた。
 たぶん薄い青色だったと思う。見ていた時間はわからない。
 天使が口を開いた。

「何か?」

 綺麗な声だった。


 たぶん、他愛ない話題を口にしたのだと思う。
 天使も同じ対戦相手の不知火舞に1人抜きされたらしく、そ
のことが口に登った覚えがある。俺がSNKは首斬り破沙羅を
出すべきだったと真顔で言ったので、天使の方もカプコンはザ
ベルを出すべきだったと言い、二人して死体つながりだね、と
笑った。
 しばらくして、天使はお腹が空いたと言い出した。
 俺は、じゃあマクドナルドでも行くか、と言った。


 チェリーナードを引き返してすぐ左、サンロードの入口の左
手にマクドナルドがある。俺たちは歩いて2分もかからずにそ
こにたどりついた。ちょうど混んでいる時間のようだった。
 天使は、俺に自分の分も並んで買ってきてくれないかと頼ん
だ。自分は二階で席を取っているという。
断る理由もなかった。
 しばらく並んで二人分の食事をトレイに載せた俺は、二階で
天使の姿を探した。だが探すまでもない。白い翼がゆるゆると
揺れるのがすぐ目に入った。
 そこでまた、何十分か話し込んだのだと思う。
 話の内容はなぜかあまり覚えていない。なにかちゃんとした
理由で記憶が曖昧になっているのかも知れない。なにしろ、俺
は人と話していたのではないのだから。
 だが、印象に残ったやりとりもある。例えば、こうだ。
 俺は何かの拍子に、普段は使わない感嘆を漏らした。
「ああ……神様!」
 すると天使が言ったのだ。
「あまり親しげに呼びかけない方がいいよ」
 少し笑って、
「早めに側に連れて行かれるからね」
  そして、漫画の受け売りだけどね、と付け加えた。


 おそらくその後、天使がトイレに行って来る、と席を立った。
 俺は、いったいどちらの性別のトイレを利用するのか、など
とぼんやりと考えていたが、失礼な気がしたのでやめた。
 しばらくは窓の外の雑踏を何の気も無しに眺めていた。
 少ししてから、自分がバイト中だったことを失念していたと
気がついた。足下のきむらやの手提げ袋に目をやったと思う。
 それからかなり経って、別のことに気づいた。
 思わず口に出していた。
「食い逃げかよ……」

すいませんネタがないのでフィクションに逃げました。
何かリクエストがあればまたやるかも知れないから驚きだ。
その気になったら掲示板かメールで何か言って下さい。
その際にはこれを読んだと言わないと不気味なのでご注意。
それと途中で出てくる美術の話は適当なので信用しないで下さい。
だが出だしの設定の部分は真実が多いです。ほとんど私小説。
あ、でも勤務中にゲーセンは行ってないですよ。
迷ったけどな!



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