・本の話/2回目は、死ぬ前に気が狂うだろう


 一部人間の私欲専横に端を発したこの動乱は、いまだ収束の
気配を見せない。
 この放送をみなさんは聞いてるだろうか? 私はかつて押川
蓮太郎と呼ばれていた男だ。5年前の騒ぎのおかげで、私の名
前は多くの人の記憶に残っていると自負してもいいはずだ。
 その押川蓮太郎の語る話にしばらくあなたがたの耳を貸して
いただきたいのだ。
 静粛に、そしてどうか全校の皆さん、静粛にお聞き願いたい。
機材の劣化も年々進むというのに、放送委員の生徒たちはほん
とうによくやってくれている。この放送は全ての校舎、どこま
で上に続いているのかは知らないが、少なくとも人のいる全階
には響いているはずだ。
 もし、この放送を聞かせまいと阻むもの、そういった勢力が
あるとしたら、それはあなたがたに何も考えさせず、自分たち
の都合のいいように利用しようとしている彼らの思惑を証明し
ている、と言えるだろう。古来より、情報の制限や操作をする
組織が何をしていたかを、思い起こして欲しい。ここで戦前の
日本やナチス時代のドイツを引き合いに出すことは、けして大
げさではあるまい。
 不幸にして友人たちと対立してしまうことになった9階より
上にいる人たち、私はあなたがたに伝えたいのだ。もしあなた
たちの指導者たち、彼らが情報を操作するような人々であった
り、それとも、そういった風に思われるのを恐れて、あわてて
制限を解除するような人たちである場合、それは何を意味して
いるのか。
 彼らは言うのだ、「我々が元居た場所に帰るために団結する
のだ」と。「そのために全ての人間をまとめるのだ」と。
 しかし、考えてもみてほしい。あの転校から5年が過ぎた。
こちら側のことも、なぜあの事件が起きたのかも、それでも
まだ何もわかっていない。
 本当にわたしたちは帰れるのだろうか?
 5年間待って帰れなかったが、果たしていつか帰れるという
のだろうか?
 いや、私は何も帰還をあきらめろと言うのではない。帰る方
法を探すことをやめろと言うわけではない。ただ、同じだけの
心の関心を持って、こちら側に根付く努力をすべきではないか
と思うのだ。
 どうやら各階の非常扉の外にある世界のおかげで、わたした
ちは飢えずにすむようではある。だが、その世界のことは、5
年が過ぎた今でもわかっていないことが多いのだ。25階には
大きな海があった。13階から19階はどうやら一つの大きな
建造部とのようだ。しかし、25階の海がどれほど広いのか、
どこまで深いのか、ティーンズの迷宮は横にどれだけ伸びてい
るのか、外とティーンズを隔てる壁があるのか――。
 そもそも、この学校はいったい何階までそびえてしまったの
か、それすらも分かっていないのだ。確か確認できた階は二百
何十階かだと思ったが――ああ、ありがとう、一昨年に探検家
の榎木君が到達した250階が人間の到達した最上階だそうだ。
それでもまだ、学校の上は見えそうになかったらしい。
 あるいは、この学校に最上階など無いのかもしれない。
 まったく、何という場所にわたしたちは来てしまったのだろ
うか! 5年たった今でも、私は嘆息をやめることが出来ない。
 このような、わたしたちが元々住んでいた場所の日常の論理
から遠く離れた所で、同じ人間同士が争いあってどうしようと
いうのだろう? 確かに、彼らの言うように帰還の努力はすべ
きだろう。だが、実際は何をしてよいのか皆目見当がつかない
のだ。確かにいつかは帰れるのかもしれない、ある日突然この
状況に転校してしまったように、ある日突然、元の世界に帰れ
る日が来るのかもしれない。確実なことは何も言えない。
 だが、同じく確実ではないのだが、一生こちらで暮らさなけ
ればいけないかもしれないのだ。
 そして、わたしたちがここに来てから産まれた子供たちの中
には、もう言葉を話す子すらいるのだ。彼らのためにも、わた
したちはよりよく状況を改善すべきはずなのだ。
 子供たちの中には、あの転校初期のひどい騒ぎの中で、望ま
なくして生まれた子供たちも少なくない。実際、わたしの部屋
には親の知れない子がひとりいて、共に暮らしている。だが、
いや、だからこそ、そんな子たちにはつらい思い、ひもじい思
いをさせてはいけない。私は、あの子の泣き顔を見たくない。
 だから、あえて言おう、帰還のためにわたしたち全員の確固
たる団結を理想とし、それに従わないものはむしろ帰還を邪魔
するものとして扱う上階の指導者たち、彼らは悪であると。
 帰還の方法を探したければ自分たちで好きにやればよいのだ。
それ自体は、悪でも何でもない。だが、それを他人に君臨する
ための方便にしている時、それは悪だ。考えてもみよう、彼ら
は元の世界の論理では人の優位に立てる人々なのだ。そして、
元の世界に帰ることだけを考えるとき、それは元の世界の論理
で人々が動くということなのだ。
 断言する、彼らは自己の保身をのみ考えている。
 だから、9階より上にいて、階段の踊り場のバリケードの下
側にいるわたしたちと対立している人々、あなたたちは彼らの
戦う理由などにつきあう必要はないのだ。
 私のような男が何を言うのかと、5年前の押川蓮太郎の働き
を知る人は思うかもしれない。だが、私が言うからこそ、戦う
ことに意味のないとわかってもらえるだろうと判断したので、
わたしはこのマイクの前に座っているのだ。
 これ以上対立が激化すれば、多くの死人が出るだろう。5年
前の戦乱でわたしたちの人数は半分に減ってしまった。
 戦時の状況では、きちんと埋葬されない死者も出るに違いな
いのだ。そういった死者がどうなるかは、みなさんよくご存じ
のはずだ。死者の手足を屈めて縛って、瓶に入れて埋葬しなけ
ればいけない理由は、言うまでもないだろう。
 あのような体験は二度としたくはない。
 いまだに脳裏から離れないのだ、強い喪失感から呆然と居続
けた私の目の前で、私を守って倒れて果てた友人が……起き上
がって、私に噛みつこうとする、あの顔が。
 あの規模の動死者禍が再発したら、わたしたちは今度こそ、
おしまいになる。二回目は――

 ――二回目は、死ぬ前に気が狂うだろう。

 あんな光景は子供たちにも見せたくない。それだけでも、争
いを停止する当然の理由になるはずだ。
 子供たちには、もっと明るい光景を見せたい。出来うるなら
元いた世界、そうでなくとも人々は争わず、死者は動かず、階
の行き来が自由に出来る光景、たとえばこんな、私の友人の文
芸部員がうちの子に送った本のような――。
 ああ、持ってきてくれたのか。ありがとう、じゃあちょっと
読んでみようか。
 その本はこんな書き出しで始まる。


「25階の海の世界を最初に見たとき、飛人は……」





フィクションです。 回を重ねるごとにどんどん設定が広がってゆき、 それにつられて愉快さも広がりまくり―― てなことになったら素敵ですね。



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