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寝室から書斎へ姿を現した北岡の第一声は「なんだお前は」だった。
彼にしてみれば、安眠を誰にも邪魔されないような生活を志し、
ついに功なって安寧を手に入れたはずなのに、
見知らぬ若者が自分の書斎でいけずうずうしくしているのだ。
警護の者たちはいったい何をしているのだ?
「やあ。久しぶりだね」
君は言った。顔が微笑んでいるのは左手で朔月左文字の柄を握っているからだ。
北岡は君の言葉の意味を計りかねているようだったが、
急に顔色を変えて床に尻餅をついた。
「なんでだ。なんでだ」
君は立ち上がった。
北岡がそれに反応してびくりと後ずさる。
「嬉しいな。百年ぶりなのに覚えていてくれたんだ」
君は北岡に一歩近づく。北岡が一歩ぶん尻で後退する。
「そうか。わかったぞ。わかったぞ。誰かが加賀の顔を再現していたずらをしているんだな。
誰だ。誰の差し金だ。塔野か。違うか」
君は無言でまた一歩近づく。
「バディオル!」
北岡が叫ぶ。すると北岡の隣にぼんやりとした黒い影が現れる。
「バディオル。あいつは誰だ」
黒い影が何事かを北岡に耳打ちした。
「ひ。ひい。ひいい。まさか。嘘だ」
北岡が四つん這いになって壁際まで交代する。君は微笑みながら言った。
「嬉しいよ北岡くん。僕を見てそんなに取り乱すということは、
ずっと良心の呵責に耐えてきたんだね。でなければそんなに苦しむはずがない」
北岡はその言葉に飛びついた。
「そうだ。そうなんだ。とても済まなかったと思っている。許してくれ。頼むから。
反省しているんだ。俺が自分を責めない日があったと思うのか。
お前はそんな。アリ。アリオクと契約するような人間じゃなかった。
優しくておとなしい奴だった。そして俺はしかたがなかった。反省している。
お願いだから」
北岡は君に向かって泣いて謝っている。
「ああ――」
君はため息をついた。
「ああ。ありがとう――」
その言葉に希望を見いだしたのか、ハッと北岡が顔を上げた。
「百年間、夢に見ていたんだ。君が謝るのを。泣いて謝ってくれるのを」
「そ。それじゃあ――」
許してくれるのか、と北岡が言うより早く、君は続ける。
「百年のあいだずっと夢だったんだ。君が泣いて命乞いをするのを、
まったく聞き入れないのがな! 泣いて這い
蹲
ったお前を容赦なく斬り殺すのがな!」
君はゲラゲラ笑いながら朔月左文字を引き抜いた。
「ひ。ひいい」
怯えた北岡は腕で頭をかばうようにしたが、すぐに自分の最強のデーモンを呼びだして身を守ることを思い出した。
「モラクス!」
たちまち、重量のある濃い茶色の光が煙のように現れ、角を持った人影を形成しはじめる。
だが――
「無駄だ」
とアリオク。いつの間にか君の隣に吐き気をもよおすほど完璧な美しさで立っている。
北岡の呼び出したモラクスはアリオクの手の中ではね回る子牛になっていた。
アリオクは優雅な手つきでそれを口の中へ入れると、ばりぼりと音を立てて噛み砕いた。
「我が名はアリオク。復讐のデーモン。これよりは私怨復讐の時間。
復讐を司るデーモンの権限においていっさいの助力を禁ずる」
君は笑った。笑いながら左文字を北岡に向ける。
「そんな。そんな。その黒い剣は助力じゃないのか。ニバスだろ。ニバスだろ」
アリオクがこの上なく美しい微笑を北岡に投げかけて言った。
「これは公正な決闘ではない。私怨による復讐だ」
さて、戦闘だ。40へ進む。